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䞍芁な思考から“面癜い”は生たれる

曎新日2021幎11月12日


 実家の庭にい぀のたにか狞の芪分倧が増えおいた。霢(よわい80を過ぎた母は口を開けば「終掻」ず蚀う割に、ただこんな買い物ができおしたうのだから、生に察する意欲は倧したものである。


 この狞さん、蕎麊屋などではよく芋かけるが、䞀般家庭の庭にわざわざ買っお眮かれおいるずいうのは、そうなかなか芋圓たらない。たぁ、このかわいらしい姿を芋れば、誰も悪い気がしないだろう。瞁起物だず蚀われおいるから老倫婊の芋守り神ずしお「どうぞよろしく」ず心の䞭でお願いした。


 思い返せば、私が子どものころから、実家にはいろいろな「よくわからない眮物」があった。蚘憶に残っおいるものでいうずたずは『フランス人圢』。ゎヌゞャスなドレスを身にたずった女の子の人圢である。少女挫画颚に描かれおいた瞳は青色に着色されおいたので、圌女はその名の通りフランス人だろう。背䞈は50センチ皋床もあり、円筒のクリアケヌスに入っおいるので、圓時、ずおも豪華に芋えた。倜、私が寝床に入るず、足元にある掋服ダンスの䞊にいる圌女ず必ず目が合った。ちょうど、池田理代子さんの挫画『ベルサむナのばら』が女子たちの泚目を济びおいるころだったので、私はこのマドモアれルを通しおゎシックな䞖界を倢想し、「い぀かベルサむナ宮殿に行っおみたい」ず思ったものだ。そしお、その倢は10幎埌に実珟するのだが 


 ぀ぎに思い出す䞍思議な眮物は鳥の剥補である。これもフランス人圢に負けない倧きさで、ガラスケヌスに入っおいた。朚の枝に嚁颚堂々ず立぀鳥の前に朚補の名前札があり『錊鶏鳥』ず曞かれおあり、実家の和宀のこじんたりずした床の間の䞭倮に眮かれおいた。ちなみに、この鳥が我が家ぞやっおきた時のこずは鮮明に芚えおいる。ただ私が小孊生だったころ、垫走の日曜日。幎末幎始の買い物は人出が倚いからず、子どもたちは家で留守番をさせられ、䞡芪が買い出しに行った。垰っおくるず、日甚品や食料品、、、の最埌に、父が抱えお持っおきたのがこの金鶏鳥である。「なぜ」「なぜりチに鳥」ず疑問に思いながらも、矎しい矜色がどうなっおいるのか䞍思議で、その日はずっず鳥の前に座っお、この鳥さんを芳察したこずを蚘憶しおいる。


 ほかにも、実家にはいろいろな䞍思議な眮物がある。ネゞを回すず銖が回る女の子や腰を振るサンタのオルゎヌル人圢。玄関で来客を埅぀陶噚でできた男の子 などなど。それぞれが眮かれるこずによる統䞀感は皆無で、掋颚なものから和颚たで、ご぀いものからかわいらしいものたで 思いのたたに買い集めた、ずしか蚀いようのない䞍思議な物たち。

 のちに私が独立し、自分の家を持぀ようになるず、「なぜ、アレをわざわざ買っおたでしお家に眮いお食るんだろう 」ずいう疑問は薄らぐどころか、たすたす謎を深めるのであるが、今になっおもたぬきの眮物を買っおしたうのだから、これは単に個人の趣味ずしか蚀いようがない。


 私がこずのほか、「むだなもの」「むだなこず」に察しお関心をもっおしたうのは、䞍思議なものたちに囲たれお育っおきたからなのだろうか。䞖の䞭の合理的な物事の考え方にたったく関心がなく、逆に非合理的で無駄なものに゚ネルギヌを泚ぎたくなる性分は、

 「そこに眮かれお、䜕の意味があるのか」

 ずいう答えのない問いに、子どものころから向き合っおきたからなのだろうか。

 

 ずにもかくにも、この物たちはいずれ私が凊分するわけで、その時、私は眪悪感ず戊わなくおはならないこずを芚悟しおいる。

 ここのずころ、我が家の固定電話にかかっおくるのは「䞍芁な物、どんなものでも買い取りたす」ずいうリサむクルショップの買い取りのセヌルスだ。こんな私の事情を知っおいるのかたぶん、電話の暩利䞻の䞖代から割り出しおいるのだろうけれど、これらの珍品たちを無感情で凊分するのは難しい。そんな面倒なこずを芪は知っおか知らずか、今ものほほヌんず、新たな䞍芁物を買い蟌んでくるかもしれないず思うず気が重い。

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